違和感と自分自身

はじめまして

 

「そうだ、京大行こう」という題で、ブログを書くことにしましたShimoです。

 

私が京都大学への進学を決めたのは、今から約10年前。
当時、別の旧帝国大学に在籍していた私は、ある「違和感」に悩んでいました。

 

周りと違うこと。
それが違和感の原因。

 

旧帝大は、関東の有名私大と比べると華やかさこそ無いものの、私も含め「そこそこ」に勉強をし、いわゆる「いい子」が集います。
そこに居心地の悪さがありました。

 

京大に進んだ私なら言えること。
「そこそこ」じゃなくて、「死ぬ気」で頑張れば、絶対にもっと上に行ける。

 

話の本題から逸れました。
私は高校までは、先生や親の言うことをよく聞く「いい子」だったような気がします。

 

そんな人間が先ほど書いたような環境に身を置けば、居心地が良いんじゃ?
きっとそう思われると思います。

 

でも、それがそうじゃなかった。
それが事実なのです。

 

一人暮らしの大学生という、「自由」を手に入れた私には、息苦しくて仕方なかった。
そして、私には、周囲が「異なる存在を認めない」ように感じた。

 

だから、大学を辞めた。
ただ、それだけ。

 

上に行きたい気持ちがあったわけでもなければ、誰かに強制されたわけでもない。
自身が生きる場所を京都大学に探しに行ったのです。

 

向上心はない。やる気もない。能力もない。
でも、京都大学卒業という言葉が、私を縛り付ける。

 

途中で書いた、「もっと上に行ける」
所詮は虚勢。

 

結局、私は私。
事がどう転んでも、自分自身が吹っ切れなければ、このしがらみから抜け出すことはできなさそうです。